spoil - すずしろ苑/聖護院ひじりさま


「あなた」
 呼びとめられて振りかえった。身なりのいい女性が薄青色のハンカチを差し出していた。
「落し物をされてよ」
 楽しげに笑いかける女性はなかなかの美人だった。落し物を拾って貰った上に、目の保養。うん、やっぱり今日はついている。ユーリは幸せを噛み締めた。
 会議が流れてぽっかり時間が空いた。晩餐を予定していた使節は一昨日までの大雨のせいで到着が遅れていた。つまり、午後からまるまるオフというわけで。そんな機会を逃すはずもなく、いそいそと息抜き――いや、視察に街へ下りてきたわけだけど。
「ご親切にありがとう」
「お気をつけ遊ばせ」
 さっき財布を仕舞った時にでも落ちたのかもしれない。
 手渡す指先は美しく手入れされていた。装いにも化粧にも隙がない。裕福な商人か、ひょっとしたら貴族かもしれない。女の人の年齢を言い当てるのは得意ではないが、自分より幾つか上かと当たりをつけた。
 すると女性がついでのように聞いてきた。
「あなたはこちらの方かしら?」
「ええ」
「もし、お時間よかったら、王都を案内して下さらないかしら。登城する家族に付いて地方から出てきたのだけれど。さっきから迷ってばかりで」
 困っているの、と眉をひそめてみせるのも色っぽくて良かった。普通ならば一も二も無く、多少の用事を抱えていたって彼女の案内を買って出るだろう。が。恋人との待ち合わせは『多少の用事』より重要事項。それに、なんと言っても…。
「あー…だけどおれも案内できるほど詳しくないっていうか…むしろ道なんてほとんどわかんないっていうか…」
「あら」
 美人に失望されるのは堪えるんだけど。
「そろそろ暗くなるし…出直して、その家族?の人について来てもらった方がいいんじゃないかな」
 上等な店が立ち並ぶ通りで治安が良いって言ったって、夜間の女性の一人歩きは不用心だ。おまけにこんな綺麗な人だし。
「そうね。そうするわ」
 なのに女性の視線はひどく怖かった。睨んだ? 睨んだよね、今。
 すい、とドレスの裾を捌いて立ち去った美人の後ろ姿を見送る。何が悪かったのか。考えても、ユーリには彼女を怒らせた理由が判らなかった。
 王都に住んでるって言っときながら道を知らないと言ったのが幻滅させたのか。態良く断る口実にしか聞こえなかったのか。

「それはきっと道に詳しくないってのより、家族について来てもらえってあたりが不味かったんでしょうね」
 と解説してくれたのは、その後落ち合ったコンラートだった。
 ハンカチを拾ってもらったくだりから順に話していけば、コンラートの目つきがだんだん冷ややかになって行って。彼女に続けてこいつの機嫌も損ねるだなんて、自分はどんなマズイ対応を取っていたのかと冷や汗を掻いていたら。道案内を拒んで怒らせた辺りでコンラートが吹き出した。
「え、なんで」
「だって引っ掛けようとした相手に旦那と来い、でしょう? 厭味以外何物でもないでしょ」
「ええっ、あれってナンパだったの?!」
 時々天然ですよね、と呆れられてちょっと気まずい。
 純粋に彼女に見とれてまし…いやいや、あんたが居るのにそんな。ついて行くわけないじゃないかー…。
「第一、これ、あなたのじゃないでしょう」
 コンラートはそう言ってユーリが手にしたままだったハンカチを取り上げた。
「本当?」
 改めてよく見てみる。薄青い生地に同色で細かな刺繍が施してある。確かに男物にしては繊細すぎる気もするが。
「…これ、おれのじゃない?」
「違います」
 正直自分のハンカチの柄なんて…上着の隠しに入っているかどうかすらよく判ってなかったが。彼が言うのならそうなんだろう。
「返した方がいいかなぁ」
 突如ささいだけどお荷物となったハンカチを持て余す。
「登城しているっていうご家族の方を突き止めて?」
「――却って迷惑か」
 コンラートは苦笑で頷いて、自分の上着の中に仕舞ってしまった。
「だけどさ、ずっと王都に住んでて道のひとつも案内できないって、やっぱおかしいよな」
 うん、これは由々しきことだよ。これからはもっと街に下りるのも増やして行く方向で…コンラートがまた笑う。
 なんだと問うたら、いいえ、と首を振る。
 城の中では後ろに控えるコンラートも、今はすぐ隣にいる。並んで歩いているものだから、何か言いたげな様子だとかは顔を見なくったって伝わってくる。
 飲みにでも繰り出すのか、賑やかな一団がふざけ合いながら通り過ぎた。腰に当てた手で引き寄せられてやり過ごす。
 そういえばこれから行こうとしている店はこっちで良かったんだろうか。話すことに気を取られていてうっかりしていたけれど。
「たぶん次の角を曲がったところですよ」
「この辺、似たような通りが多いからなかなか覚えられないんだよなぁ」
 確かにそこを曲がったら見覚えのある店構えが現れた。
 はっきりしないコンラートの態度よりも、ユーリの意識は食事に向かう。
 一向に道を覚えない理由だって。機会の問題じゃなくて、エスコートされるがままの、この頼りきりの状態にこそあるのだけど。
 だがそれも、まったくの無自覚だからこそ、ユーリは気がつかないのだ。

 第二十七代魔王、施政者としてなかなか有能ですが、大人としてはかなりグダグダです。



聖護院ひじりさまより頂きました!

元ネタは、奈良・京都観光オフ会中に遭遇したご夫婦。
落としたタオルを拾って差し上げたところ「これ俺の?」と奥さんに尋ねる旦那さんを、コンユに脳内変換して激しく萌えました。
全部、奥さんに任せっぱなしな旦那さん(陛下)に萌え!
甲斐甲斐しく旦那さんに尽くす奥さん(次男)にも萌え!!
こんなコンユが見たかったんです。
ひじりさんありがとうございました!!

(2010.06.27)