獅子と飼い主 - すずしろ苑/聖護院ひじりさま

『ハヅキさんちの獅子次男「獅子飼いました」という素敵シリーズのだいぶ後という設定の渋谷君が勝手に就職とかしてる捏造』



「本当にすみません」
「気にすんなって。去年引っ越してさ、その前だったら雑魚寝だったけどな」
 学生時から住んでた処は狭かったから、渋谷さんは笑う。俺は不謹慎にもどきっとした。
 タクシーは深夜のガラガラの道路を滑るように走る。昼間の騒がしさが消えた街並みは良く知る場所のはずがまるで知らない表情を見せる。心もとないようなわくわくするような気持ちになって、それは横に並ぶ渋谷さんにも感じていた。
 この特殊状況――端的に言えば終電を逃す――を招いたのは自分の落ち度だというのにだ。そんな自身に恥じ入って俯くと「もうそんなに落ち込むなよ」と腕を叩かれた。
「新人ってそんなもんだよ。ってか、おれなんて相当酷かったから。むしろこれまで完璧なお前にびびってたっていうか。先輩らしいことができてちょっと嬉しいっていうか」
 目を上げたらそう面映ゆそうに微笑む渋谷さんが居て、どきどきが止まらない。そんな場合じゃないのに。
 中堅部品メーカーに就職して三か月。製造管理部門に配属が決まって、教育係としてこの人が付いた。渋谷さんは三年先輩の二十五歳。
 三か月弱付き合ってわかってきたことは、とても面倒見がよくってアツい人だということ。情熱が勝ちすぎてちょっと強引なところもあるけれど、なんというか、そういうところもこの人の魅力なのかもしれないと思えてしまう。
 それはきっとその強引さが利己の為にでなく、人の為だったり会社の為だったり、あるいは正義の為だったりするからなのだと思う。精密部品作ってる会社で正義ってなんだって感じだけど、とにかく真っ直ぐでいさぎよい人だ。
 …まぁ、三か月足らずの短期間にすっかり心酔ってほどに俺はこの人のファンになっていた。教育係がこの人で良かった、俺、この会社に入って良かった、と毎日楽しく過ごしていた。
 それでも決して浮かれていたわけじゃなく、それどころか渋谷さんに良いところを見せたくって全力で頑張っていたわけだけど。うっかりやらかしてしまったのが今日の朝。
「頼んでおいたアレ、どうなってんだっけ?」
 言われるまですっかり忘れ去っていたその仕事は今日までにまとめておくように言われてた報告書だった。新人に丸投げするくらいだから決して難しいものではなくって、あ、これなら楽勝かなって受け取って。
 ――油断ついですっかり忘却しきっていた。難しくはないけれど時間はかかりそうなデータ整理があって、俺は真っ青になった。
「こういうのは貰った時にすぐにスケジュールに書き入れるとかしないと。もっと仕事が混んで来たらとっちらかるぞ? まず、書け。習慣づけろ」
 渋谷さんはそう叱って、あとは一日ずっと俺の仕事を手伝ってくれた。それでも日付が変わるまでかかって、さらにタクシーで一万円超えてしまう俺に、自分ちに泊まっていけばいいとまで言ってくれて。
 俺はますますこの先輩が好きになった。始まったばかりの会社人生だけど、この人に捧げようと決めた。
「実家、埼玉でしたっけ」
「そ。大学入るときこっち出てきて」
「独り暮らしって憧れるんですけどね。でも俺、ずっと実家だから。家事とかまったくできないし」
 すると渋谷さんがちょっと渋い顔をした気がした。社会人になったのにまるで自立できてないことを情けなく思われたのかと俺は焦った。
「凄いですよね、渋谷さんちゃんと自活してて」
 なのに渋谷さんはぼそぼそと謙遜する。
「いや、俺も全然だし…」
 いつも皺ひとつないスーツ着てて、ハンカチにまでアイロン掛かってる人がだ。
「そんな。凄いですよ、毎日弁当まで作って」
 そう、渋谷さんは弁当男子なのだ。
 青いハンカチに包まれた弁当箱を思い浮かべる。だけど渋谷さんは昼休みになるとそれを持って外へ出ていくので、中がどんな弁当なのかは知らない。ひょっとして日の丸弁当とか。だから恥ずかしくて自席で食べられないとか。結構大きめの二段弁当風の包みだけど、あれが上下共白飯?
「あの…彼女いないって言ってましたよね…? もしかしてあの弁当って本当は…」
 実は同棲の彼女とか居たら押しかけたら気まずいのではないか。急に不安になって伺ってみれば。
 渋谷さんの形の良い眉が難しく寄った。
「彼女は居ない」
 きっぱり断言されて半分ほっとする。でも、じゃあなんでそんな困った顔?
「言うの忘れてたけど、お前、猫とか大丈夫?」
 唐突に話題が変わった。 「あ、平気です。けど、俺んち犬飼ってるから、もしかしたら嫌がられるかもしれないですね。匂いついてるかも」
「いや、たぶんそれは大丈夫だと思うけど。犬を怖がったりしないし」
「へぇ、渋谷さん猫飼ってるんですかぁ。なんて名前なんです?」
「コンラッドって言うんだけど」
「オス?」
 余程可愛いらしくて、飼い猫の話になると渋谷さんの眉間のこわばりは取れて、溶けそうにやわらかい表情になった。うわぁ、やっぱ渋谷さんのこういう顔ってすごい破壊力だ。どきどきがすごい勢いでぶり返してくる。
 俺はタクシーがマンションに着くまで、渋谷さんの笑顔を堪能しながら猫の話を続けた。
 猫しかいないはずの渋谷さんちに灯りがついているのは、もしかしたら猫が寂しがったりしないようにかと、ぼんやり思っていた。猫しかいないはずのドアの前でチャイムを鳴らすのは、猫に帰ったよ、の合図の代わりかとなんとなく思おうとした。猫しか居ないはずなのに中からドアが開いて「お帰りなさい、ユーリ」と外国人が出てきたときは、ええっ渋谷さん来客があったんだ俺来ちゃって良かったのかな、なんて焦って「遅くにお邪魔します」と慌てて下げた頭をあげて、「ただいま、コンラッド」と渋谷さんが言うのを聞くのと外国人の頭に獣耳がついているのを目にするのは果たしてどっちが先だったろうか。

 独り暮らしのはずの渋谷さんちは広いリビングの2LDK。結局使ってない部屋があるからって昨夜はそこに布団を敷いて貰った。昨夜は日付も変わったとても遅い時間に押しかけたにも関わらず、豪華な朝ごはんをごちそうになって、その上一人分も二人分も作る手間は同じだから、と弁当まで持たせて貰った。それであの二段弁当の中身はもちろん上下とも白飯なんかじゃなかったことを知った。むしろ豪華すぎて。渋谷さんが外で弁当を食べる理由がなんとなくわかった。
 それからえーっと。
「…渋谷さん…あれって…猫、ですか…?」
 会社近くの公園のベンチで並んで弁当を食べながら。俺は恐る恐る聞いてみた。
「うーん、実は猫じゃないんだけど」
 もちろんそうだろうな! 俺は箸先に力を入れすぎて、料亭のみたいな卵焼きからダシがしたたり落ちた。
 それでも疑問符で破裂しそうになっていた頭が少し冷えた気がした。ちょっとだけ安心した。よかった渋谷さん、大丈夫だー。
「だけどライオンなんて言ったら驚くだろ?」
 大丈夫じゃなかったー。
「あれ、おまえ、卵焼き嫌い?」
「いや、美味しいです、卵焼き」
 俺は慌てて真っ二つになって飯の上に落ちた卵焼きを拾い上げた。ちなみに飯は刻んだ茗荷を混ぜ込んだ香り御飯だ。
 そして「コンラッドのことはナイショな?」と渋谷さんが片目をつぶるから。俺はもう何も言わないことにした。



聖護院ひじりさまより頂きました!

今年も獅子ですー! しかも渋谷君がサラリーマンしてますよ!!
大人になってちゃんと先輩をしている渋谷君ににやにやしちゃいました。
そして次男! すっかり嫁らしくなりおって。甲斐甲斐しくお世話焼きまくる姿が目に浮かびます。
かわいい後輩君の淡い恋心が見事に打ち砕かれるのはかわいそうですが、
コンユは常時ナチュラルな新婚さんだから仕方ないですね。コンユばんざい。
今後は会社でも慕われるユーリを心配して「会社の人とか、仲の良い人を連れてきていいんですからね」と
親切そうに言いつつ、連れてきた相手に自分とユーリの仲を見せつけて牽制する次男がいるんですね、わかります。

素敵な誕生日プレゼントありがとうございました!

(2015.07.23)