花吐き病パロ - SaBoTeN/冬青さま
1.
最初は、胸のむかつきだった。
放っておけばすぐに治まる程度にささやかな。けれど、次第に少しずつ酷くなっていくそれは、決まってコンラートが置いてきてしまった人を未練がましく想う時におとずれた。
「……」
目を伏せれば、鮮やかに記憶がよみがえる。いつも彼の周りには笑いが絶えず、気づけばコンラートも一緒になって笑っていた。
ここは、あの場所からは遠すぎる。
ユーリ−−
元気にしているだろうか。突然消えてしまったことで、心配させているかもしれない。自分はもう傍で彼を護ってやることはできないから、無茶をしていなければいいが。信頼できる人たちついているから大丈夫だとわかっていても、心配せずにいられない。
彼のため、自分にしかできないことをしようと決めて、傍を離れることを選んだのは自分だというのに。
後ろ髪をひかれてしまう己が心の弱さに苦笑をしながら、今夜も重くなる胃を左手で押さえた。
「……ッ」
胃が熱い。逆流した何かが喉を通る息苦しさに眉を寄せ、咄嗟に近くにあったテーブルで身体を支える。
「ぅ……ぐ」
洗面所に駆け込む余裕もない。
脂汗をにじませながらえずき、吐き出したばかりのそれを見るなり、コンラートは言葉を失った。
汚物と呼ぶには、うつくい。
鮮やかな花弁を持つ花を見て最初に思ったのは、彼が好きな色だ、ということだった。
2.
「コンラッド!」
柱の陰からひょっこり現れた満面の笑顔を前に、コンラートは目を瞠った。
「びっくりした?」
「……ええ」
隠れていたとはいえ、まさかユーリの気配に気付かないとは。意識が散漫になりすぎだ。
してやったりと笑う少年は幸いにもこちらの動揺には気づいていないようで、表情を取り繕ったコンラートは何でもない様子で緩く首を傾げた。
「執務は終わったんですか?」
今日の彼の予定は、一日中執務室で缶詰だったはず。朝からギュンターがうきうきと教材を用意していた。グウェンダルとヴォルフラム、ギュンターが同席しているならば自分は離れてもいいだろうと、兵士の訓練を請け負ったのだが。
「まだだけど、少し休憩。きちんとギュンターに許可はもらったからな。そういうあんたは、訓練終わった?」
こちらをまっすぐに見上げてくる黒い瞳は期待に満ちており、今更に彼の両手のグローブとボールに気付いたコンラートは、申し訳ないと眉根を寄せた。
「訓練はちょうど終わったところなのですが、これから少し城下に行く予定が」
「そっか……」
「すみません」
同じようなやり取りを何度繰り返したことか。それでも変わることなくがっかりする姿に胸が痛む。キャッチボールも、城下に連れていくのも、もう随分とできていない。
「近いうちに」
「……うん」
果たせない約束ばかりが増えていく。嘘のつけない彼の瞳が悲しそうに揺れていた。そうさせているのが自分だという事実が、どうしようもなく胃のあたりを重くする。
遠い異国の監獄で、伸ばされた手を衝動のままにとっていた。勝手にいなくなっておきながら、今更戻りたいなんて我儘が許されるはずもないのに。そんなことさえ考えられないほど、ただ彼のもとに還りたいと願ってしまった。
こんな顔をさせるために還ってきたわけではないのに。けれど、ならば何のために戻ったのかと問われても、コンラートは答えを持ち合わせていなかった。
考えるほどに、胃の不快感が増していく。
じわりと背に汗が滲んだ。これはまずい予兆だ。
「あのさ、コンラッド」
「すみませんが」
「あ、うん。引き留めてごめん」
このままではいけない。何かを言いかけたユーリの声をさえぎって、コンラートは背を向けた。背中に視線を感じるが、振り向く余裕さえない。急いでここを立ち去らなければ。
普通に歩けたのは、角を曲がるまでだった。
ユーリの視線から逃れるなり足を速め、どうにか自室に駆け込んだ。
「……ぐっ、ぅ、ぁ……」
ドアが閉まる音と、うめき声は、どちらが先だったか。
喉を異物が逆流する苦しさに顔を顰めながら、コンラートは口から吐き出したそれを見下ろした。
吐き出すのは、いつも決まって同じ花。彼が好きだと言っていた、空よりも少し濃い青色だった。
3.
「ギーゼラに聞いた」
かたい表情で深夜に訪ねてきたユーリが挨拶より先に口にした名に、コンラートは天井を仰いだ。
医療に携わる彼女はさすが奇病のことも知っていて、面倒な花の処分に手を貸してくれていた。コンラートの意思を尊重して口を閉ざしてくれていたが、花を見てしまったユーリにまで隠しておくことはできなかったのだろう。
「昼間はすみませんでした」
「びっくりしたけど、おれにうつらないようにしてくれたんだろう?」
処分するために運んでいた花をユーリに見られてしまった。「きれいだな」と笑いながら無邪気に伸ばされた手を咄嗟に払いのけてしまったコンラートが目にしたのは、驚きに見開かれた黒い瞳だった。
「それでも、あんな風にする必要はなかった。痛みませんか?」
「うん。大丈夫」
頷きはしたものの、昼間のショックを引きずってか相変わらず表情はかたいまま。いつもの笑顔は見られない。
「お茶でもいれましょうか」
追い返すこともできず、部屋へと招き入れたユーリをカウチへと促した。
眞魔国に戻ってから花を吐く頻度は確実に上がり続けていた。こうしている今も、胃のあたりに不快感がつきまとう。いつまでも隠しておくことはできないと頭ではわかっていていながら、ずるずると先延ばしにしていた結果がこれだ。幸いにも今日は防ぐことができたが、いつ事故が起きてもおかしくない。
離れれば、この症状は落ち着くのだろうか。二度と会わないつもりで出奔した時でさえ、彼を想い花を吐き出した自分の病が消えるとは到底思えない。
茶器を用意しながら、カウチに座るユーリを見た。彼は相変わらずこわばった顔で、何事かを考えこんでいる。普段ならば元気づけようとできるのに、原因が自分なのでそれすらも叶わない。
護るどころか、今日は危うく怪我までさせるところだった。これでは、何のために戻ってきたのか。
しばらく暇を願い出たら、彼はなんというだろう。
「その病気……前は、なかったよな?」
「そうですね。うつったのはずっと昔ですが、発症したのはあちらに身を寄せてからです」
戦場でのことだ。顔色の悪い部下を介抱した際に、色鮮やかな花に触れた。吐き出すだけ吐き出して落ち着きを取り戻した部下に病についての説明をされ、うつしてしまったことをしきりに謝られたが、幸か不幸か想う相手のいないコンラートは特に気にもしなかった。
その後も症状は現れることなく、コンラート自身もすっかり忘れていたのだが。あの時うつった病はコンラートの中でひっそりと、いつか咲く瞬間を待ち続けていたらしい。まさか、こんな形で思い出すことになるなんて。
「苦しい?」
「……はい」
問いかけに、手が止まった。なんと答えればいいのか悩んだ間が既に答えとなっていて、ごまかすのをあきらめる。正直に言えば、苦しくて、もどかしい。
「治さないの?」
「治りませんよ」
「でも、方法はあるんだろう?」
想いが通じれば、病は消える。おとぎ話のような治療方法も含めて、ギーゼラに聞いてしまったらしい。
この想いは叶わない。叶えたいとも思わない。かといって、想いを消してしまうこともできないそうにないのだが。
今までも、これからも。永遠に、コンラートのすべては彼のものだ。
本人に告げるわけにもいかずに曖昧に微笑めば、ユーリの顔が顰められた。自分のためなんかにそんな顔をしないで欲しい。
「それは伝えないってこと?」
「それが一番いいんです。不便ですが、治そうとは思っていません。でも、あなたを護るどころか、いつかあなたを傷つけてしまうかもしれないことだけが怖いかな」
自分ではどうすることもできない想いが花を生み、いつかそれが彼を傷つけるかもしれないことだけが何よりも恐ろしかった。
「俺は−−」
「それでも、おれはあんたに一緒にいて欲しい」
戻ってくるべきではなかった。
口にしてはいけない言葉は、幸いにも音にする前にユーリによって遮られた。
こちらを見つめる黒い瞳が揺れていた。縋るようにも見えるそれは、戻ってこいと言ってくれたあの日に似ていて。
「……っぐ、ふ……」
「コンラッド!」
手から茶器が落ち、喧しい音が部屋に響いた。いつまでたっても慣れることができない不快感に喉を抑える。
えずきながらできたのは、心配そうに近づいてくる彼を伸ばした手で押しのけることだけだった。
4.
初めてユーリの目の前で花を吐いた。
その日を境に、コンラートはユーリとほとんど会話をしていない。避けるつもりはなくとも、会ってしまえば咳き込みながら花を吐いてしまうのだから、どうしたって逃げるように傍を離れることになる。
しばらく護衛を休ませて欲しいというコンラートの願いは、一時的な措置であることを強調することでどうにか受け入れられた。剣を握る間は集中できるということもあり、今は兵士の訓練を中心にこなす日々だ。
傍にいたい。笑顔を見たい。皮肉なことに彼を想う気持ちが、コンラートをユーリから遠ざける。ユーリへの想いは、コンラートの心の一番深いところにあった。もはや、コンラートを構成するための核ともいえるほど強く根付いて、失うことなどでききやしない。
捨てたくなかった。彼に関わるものは何一つ。
なんて自分勝手な想いだろう。吐き出した花を「きれいだ」とユーリは言ったが、決してそんな風に言ってもらえるようなものじゃない。
今夜も胃の重さを感じながら、自室に戻ったコンラートは部屋の中に見つけた姿を前に呆然と立ち尽くした。
開いたドアの向こうで、黒い姿が振り返る。まん丸く目を見開いた大切でしかたない人の手から、スローモーションのように青い花が一輪落ちた。
「どう、して」
「あ……」
大股で近づいて、ユーリの腕をとった。痛い、と小さく悲鳴が上がったが、かまう余裕もなく洗面所へと引きずっていく。最大限までひねった蛇口から勢いよく飛び出す水の下へと、後ろから抱え込むようにしてユーリの手を差し入れさせた。
「なんてことを」
泡立てた石鹸で、何度も擦った。触れただけで、病はうつる。こうならないために離れたのに。結局は、彼を害してしまうなんて。
「……ッド、コンラッド」
勢いよく水は流れ続ける。病も一緒に流してくれと祈るように擦り続けた。
「いいから」
「いいわけがないでしょう!」
夏とはいえ冷たい水が二人の指先を凍えさせても止めることができなかったコンラートの行動を止めたのは、ユーリが零した咳だった。
「コンラッ……、げほっ、げほっ」
洗面台にぽろりと落ちたのは、黄色い花弁の花だった。
目を見開き固まったコンラートから抜け出したユーリの指が、生まれたばかりの花弁を摘みあげた。
「小さいけど、ひまわりみたいだな」
コンラートとは対照的に冷静に観察してみせたユーリはコンラートへと振り返り、泣いているようにも見える顔で「ごめん」と笑った。
5.
花吐き病は、恋の病だ。
「花吐き病って、うつっても滅多に症状が出ないんだって」
冷えてしまった身体を温めるために差し出したカップを両手で持ったユーリが、カウチで膝を抱えながらしゃべり始めた。うつると分かっていながらどうしてあんなことをしたのかというコンラートの問いに対する答えだ。
花吐き病は感染しても発症率は低いため、触れただけで簡単に感染してしまう厄介な病だというのに、あまり人に知られていない。
「それってさ。コンラッドがそれだけ相手のことが好きってことだろう?」
抱えきれないほど強い想いが、花の形として溢れ出るのがこの病の特徴であるように、コンラートの抱えた感情は好きなんて言葉では到底足りない。
そして、ユーリもまた花を吐いた。
洗面所に連れ込んだユーリの手を必死に洗いながら、コンラートが抱いた感情は恐れだった。うつしてしまったことで彼が苦しむからじゃない。誰かを思って彼が花を吐く未来を想像して、目の前が黒く塗りつぶされた。
「俺の想いは、そんないいものじゃないですよ」
「そんなことない。すごく、きれいだった」
首を横に振るコンラートをさらに否定したユーリの口から、小さな咳とともに花が零れた。次から次へ。零れ落ちる小ぶりな花は、ユーリに似つかわしい太陽に似た形をしている。
「おれはさ、コンラッド。あんなにきれいに咲いた想いを向けられる『誰か』が、うらやましかったんだ」
ぽつり、ぽつりとユーリが話す。
きれいとは、彼が咲かせる花のことを言うのだ。決してコンラートではない。
彼の「好き」がそこにある。引き寄せられるままに腰を折ったコンラートは、床に落ちた黄色い花へと手を伸ばした。
「あんたは、おれのものなのに」
指先が届く直前に耳に届いた呟きに、コンラートは固まった。
上ずり、泣いているようにも聞こえる声に誘われて顔を上げると、泣いてこそいないが水分を多く孕んだ瞳とぶつかった。
「ユーリ……」
呼びかけに応えるように、溢れかけていた雫がひとつ、花弁の上に零れ落ちた。一度決壊してしまった涙腺は、彼の意思に反して次々と新たな雫を落としていく。
笑顔にしたいと思っていた。泣かせるなんてもってのほかで、彼を悲しませるすべてから護りたいとも。それなのに、今のコンラートは零れる涙を前に、どうしようもなく胸を躍らせていた。
自分を欲しいと、彼が言う。
「俺はいつだって、ユーリのものですよ」
「嘘だ」
震える手からカップを取り上げた。抱きしめれば、しがみついてくる身体がいとおしい。彼を想う感情とリンクして胃が熱を持ち、コンラートは咳き込みながら花を吐いた。
吐くのは決まって青い花。ユーリが好きだと言った色。
自分が吐いた花を見ても、これまで感じた苦しさはなくなっていた。いまはただ、純粋にきれいだと思える。
「嘘じゃないよ、ユーリ」
何よりの証拠がそこにある。
ひとつ、また、ひとつ。
新たな花を吐きながら、コンラートは抱きしめた身体へと愛を告げるように囁いた。
「だって、俺が吐く花は、あなたが好きだと言った色だ」
冬青さまより頂きました!
2019年の冬青さんのお誕生日プレゼント用に書いた花吐き病パロ本の表紙でした。
毎年恒例となりつつあるお誕生日祝いを、祝われる本人から強奪するスタイルです!
今回も内容は言わずに「大地立つコンラートをユーリに捧げる感じ」みたいなリクエストでした。
(2019.09.01)