例の部屋に閉じ込められたコンユ - 更紗さま

注意:R18作品になります。
18歳未満および苦手な方は回れ右をお願いします。







OKな方は
























 突如現れたその部屋は見回す限りの白、だった。
 広すぎることも狭すぎることもない真四角の部屋は、壁は白く、天井も白く、そして床も白い。そのせいなのか、照明器具などどこにも見当たらないのに真昼間のように明るく、いっそ目に沁みるほどだった。
 窓はない。そして不思議なことに扉も。ただひとつあるのは、部屋の中央にぽつりと置かれた無駄に大きな寝台だけだ。それすら白で統一されているのだから、思わず笑ってしまった。いや、笑おうとして失敗したのだ。窓も扉もないということは、この摩訶不思議な部屋から出られないということなのだから。
 そんな部屋に自分だけならまだしも、何よりも大切な主で名付け子でもある渋谷有利も一緒に閉じ込められているのだから本当に笑えない。
 壁を力いっぱい叩いたり、助けを求めて声を上げたり、持っていた剣を突き立ててみたりと、考えられることは既にいくつも試したが出られそうな気配は全くない。どこかに仕掛けがあるかもしれないと床に這いつくばったり、首が痛くなるほど目を凝らして天井を見つめてみたりもした。それでも結果は同じ。昼も夜もない状況に体内時計はとうに狂わされ、もうどれほど時間が過ぎたのかもわからない。
 この部屋にいてわかったことといえば、ここでは飢えとは無縁であるということ。腹が減ることはないし、喉も渇きを訴えない。排泄欲も睡眠欲も感じることはなく、心を落ち着かせようとユーリと二人して大きな寝台で並んで横になっても決して深い眠りは訪れないのだった。
 お互いがきっとどうしようもなく不安で漠然とした恐怖に包まれて、それを少しでも払拭したくて二人でくだらない話を沢山した。最初はそれなりに笑っていたユーリの笑顔が次第に強張るようになり、口数が少なくなり、そしていよいよ黙り込んだ。構わずに話しかけ続けたコンラートが、何かを決意したようなユーリの横顔に目を奪われた一瞬。不意にもたらされた沈黙を打ち消すように、こんな状況に似つかわしくない不自然なほどに明るい声が響く。
「――いいよ。やろう、コンラッド」
 知らずとびくり、と体が震えたのが自分でもわかった。
「陛下、それは……」
「陛下って呼ぶなよ、名付け親」
 そう言って強張った笑みを返す彼。いつも通りのやり取り。それなのにどうしようもなく胸がざわめく。
「、ユーリ」
「だって、仕方ねーだろ。もうこれしか方法がないんだから」
 小さく笑って枕元に置いてあった小さなメモを取り出す。それは白いシーツに埋もれるようにしてそこにあった。そこには一言、こう書かれてあった。

” セックスをしないと出られません ”

 最初にそれを目にしたときは柄にもなく頭の中が真っ白になった。一体何の冗談だと。冗談にしてはあまりにタチが悪く、馬鹿馬鹿しいことこの上ないが、窓も扉もないのにいつのまにか存在していた、このデタラメまみれの部屋の中では唯一の真実のように思えた。だからこそ今この瞬間まで見ない振りを続けていたのに。
「ユーリ、落ち着いて下さい。こんなもの悪戯に決まっています。馬鹿げている。わざわざ試す必要なんてないでしょう? もう少し待っていればきっと誰かが」
「来ないだろ」
「ユーリ」
「助けは、来ない。あんただって薄々分かってんだろ? これが本当かどうかなんておれにだってわからないよ。でもここまできたら試すしかないじゃん。少しでも可能性があるのならやるしかないし、駄目だったらそのときまた考える。おれの言うことわかる?」
 わかるから困るのだ、とは言えないままコンラートは呻いた。言いようのない焦燥感に、知らずと視線は床を這う。本当に、憎らしいほど磨き上げられた真っ白な床だ。土に塗れた靴で踏みしめればすぐにでも汚れてしまうだろう。
「まああんたには申し訳ないと思うよ。しなきゃなんねー相手がまさかのおれだもんな。好きじゃない相手としなきゃならないにしても、せめて色っぽいおねーさんとだったらあんたもそんな青白い顔しなくて済んだのに」
「ユーリっ」
 弾かれたように顔を上げた先で、気丈にも笑みを浮かべる彼がいた。自分なんかよりもよほど青白い顔をして、ああそうだ彼も今のこの状況が恐ろしくて仕方がないのだ。同性を恋愛対象としない彼にとって、こんな酷い話はない。相手が自分で申し訳ないだなんて、本来ならばこちらが口にするべきことなのに。
「ユーリ、どうかそんなことを言わないで。あなたは何一つ悪くないのだから」
「……うん、有難う」
 いつになく弱弱しく笑う姿に、胸の奥がじくじくと痛む。
 本当にこの方法しかないのだろうか。どうにも出来ないのか。
 幾度となく悩み視線を彷徨わせるも答えはどこにもなく、コンラートは苛立ちを隠しきれないように小さく嘆息した。顔を覆う手の指の隙間から、心配そうにこちらを見つめる黒の双眸と視線が絡まった瞬間、ほとんど衝動的に彼の前に跪いていた。断罪を待つ罪人のような心持ちで深く頭を垂れる。
「本当に、申し訳ありません」
「あんたのせいじゃないだろ、コンラッド」
「それでもです。たとえそうだとしても、あなたを護ることが出来なかった。あなたにとって何一つ望まない展開になってしまった」
「あんたのさっきの台詞、そっくりそのまま返すよ。そんなこと言うなよ、コンラッド。あんたは悪くない」
「ですが」
「わかったわかった! じゃあこうしよう。めでたく部屋を出られたとして、おれもあんたもすべてを忘れること。ここでは何もなかったし、これから先も何も起こり得ない。これでどう?」
「それは……ええ。もちろん」
 本当は何一つ忘れることなど出来ないだろう。そんなことは分かりきっていたが、もちろんコンラートはその想いを胸に秘めたまま深く頷いた。
 じゃあ決まりだな、とユーリが口早に言う。
「おれにはまだやり残したことが沢山ある。こんな変な場所でいつまでもぼーっとしているわけにはいかない。あんただってそうだろ? おれと一緒に、眞魔国の未来を見守ってくれるんだろう?」
 ひたと見つめ、決して逸らされることのない瞳。凛と揺るぎない信念がそこにはあり、幾年も続く未来を明るく照らしている。
 そうだ、こんな場所にいつまでもいるわけにはいかないのだ。それが彼の願いだというのなら、たとえ己の気持ちがどうであれもはや何も言うことは出来ない。
 跪いたままのコンラートの目の前に差し出された手のひら。触れるとあたたかい。ぐっと握り返す力強さに、決して引き返すことはない彼の決意を知った。
 靴を脱いで寝台に上がり向き合う。ぎしっと軋んで響く音がやけに大きく聞こえた。二人して正座なのがどこか可笑しかったが、それを笑う余裕はどこにもなかった。
 ふっとこちらを見上げたユーリの黒い瞳は不思議と凪いでいる。それを見つめる自分のほうがかえって心をざわつかせたくらいだ。
 少しの躊躇いの末、コンラートは口を開いた。
「ええとユーリ、その」
「何だよ。まだ何かあんの?」
「はい。あの……どちらにしますか?」
「なにが」
「性交渉となるとつまり、男役か女役か、という話になるのですが」
 ぽかんと一瞬口を開けてこちらを見上げてきたあとに、「……なるほど」と視線を逸らせて小さく呟いたその顔は心なしか赤く染まっていた。それまで男前な意思表示をしてきた彼も、やはり具体的な話となると羞恥が勝るらしい。しばらくうんうんと唸りながら、時には赤くなり時には青くなり、そうして「あんたさえ良ければだけど」と切り出した。
「あの、な。恥ずかしながら白状するけど、実はおれそういう経験がなくて……」
 恥ずかしいも何もそんなことはとうに知っていた。というより、女性と接するときの普段の彼の様子を見ていればすぐにわかることだ。
「そこへ比べるとあんたは経験豊富そうだし、何たって夜の帝王だし、もしかしたら中には男を相手にしたこともあったんじゃないかなって、」
「ユーリそれは」
「いや、いいんだ! そこは詮索しないから! 部下のプライベートには口出ししない上司を目指しているからおれは! えーとつまり、経験のないおれがいきなりあんたのようなむきむきの元軍人さんを、だ…抱くっていうのは少しハードルが高いというか、いや、経験ないくせに男に突っ込まれるっていうのも十分ハードル高いんだけど!」
 そこまで一息に言うと、ぐっと一瞬何かを堪えるように息を詰めると小さな声でそれを吐き出した。
「つまりその……出来ればお手柔らかにお願いします」
 最後にそう締め括って軽く頭を下げた少年の旋毛を眺めながら、コンラートはぎゅっと唇を噛みしめた。そうでもしないと、様々な感情がとめどなく溢れてしまいそうだった。
「決してあなたに痛い思いはさせません」
 膝の上で固く握りしめられていた手を、怖がらせないようにそっと掬い上げて告げた言葉に、こちらを見上げたユーリがふっと笑い、たよりにしてるよと掠れた声で囁いた。






 目の前の額にゆっくりと唇を押し当てる。滑らかで幼くて、熱い。震える瞼で覆い隠した漆黒の瞳は何を映すのだろう。
 額から滑るように首筋へと口付ける。唇が触れた瞬間びくりと大げさなほど少年の体が震えた。はやりそうになる心を必死に押さえつけながら、耳の後ろに触れると同時に服の上から背中を優しく撫でつけた。
 触れた体は野球をしている甲斐あってか思ったよりもしっかりしており、年頃の少年特有の堅さとまろみを併せ持ったしなやかな作りだった。服の上から触れてしまえばもっとその先にも触れたくなって、衣服をたくし上げた隙間から手を滑り込ませた。
 この時ほどかさついた自分の武骨な指を恨めしく思ったことはない。彼の肌を傷付けはしないだろうかとほんの数秒の間に沢山悩み、その末にゆっくりと指先を伸ばす。
 触れたのか触れていないのかもはっきりとわからないような、産毛を撫でるほどの僅かな愛撫。しかし指先が肌を掠めた瞬間、肩口に額を押し当てていた少年が再びびくりと震え、声にもならない微かな吐息を零した。
 ―― たったそれだけ。
 それだけのことで、コンラートの心は歓喜に満ちた。
 吐息はほんの少しの嬌声と色めいた熱になり、コンラートの心に生涯忘れえない残痕を残すだろう。
 君主で、名付け子で、親しい友であり兄弟のようでもあり、そしてそうした肩書きとは別に、心の奥底の誰にも覗けない場所に隠し持っていた感情がある。主を慕うのと同じように、大切で、愛しくて、己の命を投げ出してでもあらゆる全てのものから護りたいと願う気持ちの隅っこに、どうしようもなく利己的で独りよがりな薄汚れたものが存在しているのだ。それの存在を認めようとは思わない。ひたすら見えない振り、気付かない振りをして、どうか消えてくれと強く願うばかりだ。存在するだけで罪になるようなこんな感情は自分には必要ない。彼の瞳に映るのは全てが美しいものであって欲しいと、いや、そうでなくてはならないのだと思っているからだ。
 それなのに、彼の熱い吐息が肩を掠めたその瞬間、コンラートの心を満たしたのは紛れもない悦びだった。幾度となく捨てようとして捨てきれなかった想いが、心の奥深くに閉じ込めていたはずの想いが、今この瞬間自分自身でさえ抑えきれないほどの力強さで脈を打ち、ここにいるぞと全身で叫んでいる。見て見ぬ振りなんて到底出来ない現実を、このときコンラートは歓喜と絶望と共に知った。
「……ユーリ、大丈夫ですか?」
 ユーリは何も答えない。相変わらずコンラートの肩口に額を押し付けたままだ。しかし伏せられた表情は見えなくとも、艶やかな黒髪の隙間から垣間見える首筋、そして耳元が真っ赤に染まっている様が見てとれた。再び言いようのない衝動に襲われたコンラートは指をさらに奥へと伸ばし、少年の胸の突起へと初めて触れた。
 周囲をそうっと撫でつけ、先端を指の腹でさする。女のものと比べるともちろん大きさも質感も違う。しかし今の自分にとっては何よりも毒となるもの。とても甘美で、どうやってもその魅力に抗える気がしない。
 びくんと震え、抵抗するように腕を突っぱねようとする体をやわく押さえつけながらコンラートはユーリに触れた。
 どの道彼を穢してしまわなければならないのだ。それなら少しでも気持ちよくなってもらいたい。ただの言い訳だと自分でもわかっているが、そうでも思わないとこの先には進めそうもない。
 それでも経験のない無垢な少年には十分に強すぎる快楽らしい。コンラートの指先に擦られ摘ままれ潰されこねくりまわされて、そうしていくつもの愛撫を与えられて次第に呼吸が荒くなってくる。
「ふ、……んっ、」
 時折零れる嬌声は微かなのにどうしようもなく蠱惑的で、鼓膜に甘ったるく纏わりついた。
 もっと聞きたい。もっともっと。
 彼の喘いだ熱を肌に感じてしまえばもうそれまでで、コンラートはユーリの首筋に顔を埋めながら熱に浮かされたような手つきで彼のシャツのボタンを外しに掛かった。
 露わになった素肌。健康的に日に焼けた腕とは違う、なめらかな象牙の色だ。
 護衛として傍にあるのだから、目にするのはもちろん初めてではない。なのに今はそこに衝動的に噛みつかずにいられた自分がいっそ不思議なほどだった。代わりにそっと寄せた唇を胸元に押し当てると、切なく震える息を吐き出したユーリがくっと顎を反らし首筋を晒した。うっとりするほど美しいその軌跡を目で追ったままコンラートはユーリの体をシーツの波間へと押し倒し、先ほどまで触れていた胸の突起に甘く歯を当てた。
「ぁ……っ」
 小さく掠れた喘ぎ。今までの固く結んだ唇から漏れ出たものとは違う、緩く開いた唇から確かに零れた声は、眩暈を引き起こすほどの甘さを孕んでいる。一瞬頭の奥が白くなって、コンラートは己の望むままに目の前の体を貪った。
「あ、だめだコンラッド、だめ……」
「大丈夫、こわがらないで」
 泣き出しそうな顔で頭を振る姿にいともたやすく煽られて、そのまま唇と指を這わせた。片方の胸に舌で丁寧に愛撫を施しながら反対側を指先で弄ると、無意識なのか胸元を差し出すように背中を反らせる。何かを必死に堪えようと瞼は固く閉ざされていたが、睫毛が切なげに震えていた。
「かわいいですよ」
 嫌がるだろうとは思ったが、口にせずにはいられなかった。気丈にもきっと睨みあげてくる瞳も、今ばかりは熱に潤んでいる。
 そういうところがほら、とこれ以上余計なことを言う前にと大人しく口を噤んだコンラートはユーリの下半身へと手を伸ばして触れた。熱を持ち微かに存在を示すものが確かにそこにはあったのだ。服の上からでもわかる。その事実がコンラートをどうしようもなく興奮させた。
 首筋まで真っ赤にさせて、腕で目元を隠しながらユーリは枕を引き寄せ顔を埋めていた。顔をもっとよく見せてほしい。だがいっぱいいっぱいな今の彼には逃げ道も必要だろう。前髪をそっとかき上げてこめかみに口付けるだけにとどめておいた。
「さわるなよコンラッド……」
「どうして?」
「だってこんなの……おかしい……、へんだ」
「変なんかじゃありません。あなたがおかしいなら俺だって同じだ」
 宥めるような声音でそう囁きながら、固く閉じられていた瞼が開いてユーリの視線がゆっくりと下半身に注がれるのを感じた。そこには彼なんかよりもよほど余裕がなくてみっともない自分自身の姿がありのまま存在していた。なんで、と呆然とした呟きには答えを返さず、コンラートは小さく笑みを浮かべる。表情を取り繕う僅かな余裕が残っていたことに心の底から感謝した。
「ユーリ、大丈夫だから。あなたはそのまま目を閉じていて。気持ち良いことだけ感じていて」
 幼い瞼を手のひらで覆い隠して、反対の手を隙間から滑り込ませて少年の性器へと触れた。握り込んでゆるゆると上下させると、素直な体は大げさな反応をみせて一層コンラートを煽る。
 あ、あ、と短く喘ぐ声ははっきりとした情欲を滲ませていた。
 あっという間に固くなり先走りの汁を滴らせたそれをコンラートはためらうことなく口に含んだ。一際高くなった嬌声が耳を擽る。何よりも美しい音色を響かせて、高みへとのぼってゆく。白いシーツを掻き集めてぎゅうと握りしめた指の関節が痛々しくもあり、どこかいたいけでもあり、艶めかしくもあった。
 コンラートがその口に彼の全てを含んでしまう頃にはすっかり少年は追い詰められていて、きっと彼自身言葉にしている自覚なんてないように、もうだめ、はなして、おねがいとうわごとのように何度も繰り返していた。
 あまったるい拒絶の言葉は頭の奥を痺れさせ体を熱くさせる。握りこんで擦り上げると同時に強く口で吸ってやると、仔猫のような鳴き声で彼が果てたのを知った。口の中に出された白濁を当然のように嚥下すれば後に残るのは青臭さとほの苦さ。それでも一滴も余すことなく飲み干してしまえば、頬を紅潮させ荒い息を吐きながら、信じられないような顔をしてユーリがこちらを見つめていた。
 涙で溢れそうな瞳がくしゃりと美しく歪む。
「なん、で……そんなこと……」
「さあ」
 コンラートは口元に笑みを浮かべた。上手く笑えただろうか。こちらを見つめていた瞳がほんの少し揺らいだように思えた。
 あなただから。
 そう言えたら、どれだけ楽だろう。
 セックスさえしてしまえれば部屋からは出られるのだ。それならばお互いの心に余計なものが残らないように、身体を解すための必要最低限の愛撫だけ施してあとは事務的に彼の奥へと埋め込んでしまえばいい。それは十分なほどわかっているのに、どうしてもそれを選ぶことが出来ない。
 彼に気持ち良くなってもらいたい。不快なだけの記憶を残したくない。もっと言ってしまえば人と体を重ねることの気持ち良さを知って欲しいし、願わくはどうか溺れてくれとも思う。どれもが勝手な願望だ。とても口に出来るものではない。
 彼を傷つけたくない。傷付ける全てのものから護りたい。どうかずっと清らかに綺麗なままでいて欲しい。心の底からそう願う相手を自らの手で穢さなければならない。
 そして目の前の体に触れるだけで浅ましくも欲情してしまう自分自身が、衝動的に喉元に刃を突き立てたくなるほど汚らわしく思える。矛盾だらけだという自覚はあるが、感情ばかりはもうどうしようもなかった。
 どれが正解なのかわからないのだ。これからどこへいけばいいのかも。
 ただ彼を護りたかっただけなのに、身動きの取れない深い闇に足を取られて立ち尽くしている自分がいた。抗うことも、身を委ねることも出来ない。どうすればいいのか、わからない。
 部屋の白さ、シーツの白さに眩んで一瞬強く目を瞑る。
 中途半端に肌蹴たままの衣服を彼から奪い去り、コンラートも己の服を脱ぎ捨てた。火照った肌がひんやりとした空気に触れて心地良い。
 ほんのり火照ったように色づいた象牙色の肌の上で、海よりも深くて空よりも透き通った色の青い石が揺れていた。それをどうしても直視することが出来なくて、こちらを見上げる体に覆いかぶさり目の前の美しい黒の髪を柔らかく梳いた。
 果てたあとの熱に浮かされたような瞳。こめかみに汗が滲んでいた。舌で舐め取るとさぞかし甘いことだろう。そう思えば自然と体は引き寄せられる。伸ばした舌でざらりと舐め上げると、幼い瞳が吃驚したようにこちらを見る。その中に怯えの色がないのを確認してコンラートは人知れず安堵した。
 こめかみからそのまま耳元へ首筋へと唇を押し当てる。時折わざと音を立てたり強く吸い上げたりしながら、何度も。そのたびに組み敷いたか細い体は敏感に震え、甘い喘ぎが零れた。
 コンラートは枕元に転がっていた小瓶を手に取った。それは初めて目が覚めたときからこの部屋にあったものだ。
 無色透明、匂いもない。少し舐めてみたが毒でもないようだ。傾けるととろりとした質感であることがわかる。例のメモ書きと共に転がっていた事実を考えると、この小瓶の中身が何なのか答えは自ずと導き出される。
 あまりの用意周到さが忌々しいことこの上ないが、彼の体の負担を考えるとむしろこれがあることに感謝すべきだろう。
 コンラートは小瓶の蓋を開けると中身を手のひらに零した。そのまま体温と馴染むのを待って、彼自身きっと今まで触れたことがないであろう場所へと触れた。
「……うあっ!?」
 驚いたように体を震わせたユーリが顔を真っ赤にしてこちらを見る。腕が無意識に強張り突っぱねるようにコンラートの体を押し返したが、それでも有無を言わせぬ強さでゆるゆると周囲を撫で付けるように触れた。
 いくら彼が嫌がろうと恥ずかしがろうと、こればかりは譲れない。ここを十分に解さなければ彼の体が傷ついてしまうのだ。それだけは出来なかった。
 安心させるよう、気を紛らわせるようにと額や頬や首筋に唇をいくつも降らせながら、まずは小指を一本そこにゆっくりと埋めた。苦しげに眉を寄せた額に汗が滲む。
「んん……っふ、」
「もっと力を抜いて。……そう、ゆっくり息を吐いて」
 声を落として囁けば次第に力も抜けてくる。呼吸が落ち着いたのを確認してから内部をゆっくりと掻き混ぜると、淫靡にうごめく熱がコンラートの小指を誘うように絡みついた。熱い。どうしようもなく。
 痛みを感じていないか見定めるために、コンラートはユーリの表情を注意深く見つめていた。
 震える睫毛や圧迫感に噛みしめられた唇。縋りつくように、しかし遠慮がちに腕に伸ばされた指先が、今すぐ力の限り掻き抱きたいほどにいたいけだった。
 一体どれほどの恐怖心と戦っているのだろう。こんな状況でなければ、彼もこんな怖い思いをせずに済んだのに。
 決して無理はさせないように、それでいて確実に解してゆく。小指が慣れれば次は薬指へ、それが慣れると本数を二本に増やしてゆく。大きさの違う異物に一瞬ユーリの呼吸が詰まったが、時間を掛けて解した甲斐あってか傷つくこともなくゆるやかに受け入れられた。
「……っひゃ!?」
 埋めた指をくっと折り曲げたその先。そこへ行きつくと同時に今までにない声が上がった。
 咄嗟にこちらを見た幼い視線が落ち着きなく揺らぐ。今しがたの自分自身の反応が信じられないようで、それまで赤かったまろい頬が一層赤味を増した。
「な……なに、いまの。……んんッ」
 反射的に逃げようと捩る体を優しくシーツに縫い止めて、コンラートは指を折り曲げた先の硬い部分を刺激するようにそっと押した。性急に強い刺激を与えることはせず、あくまでゆっくりと辛抱強く、凝り固まった熱を溶かしてゆくように。
 そうして時間をたっぷりと掛けて指を三本入れても大丈夫なほどに慣らしていく頃には、体はすっかり蕩けきっていた。
 散々だめだはなしてと懇願していた唇は薄く開き、浅い呼吸を繰り返していた。艶やかな黒い髪が白いシーツの上で緩やかに踊る。肌理の細かい肌がしっとりと汗ばんで、上気にほんのり紅色に染まる。黒曜石の瞳が熱に潤み、情欲の光を宿してこちらを見上げていた。
 眩暈がするほどの真っ白な部屋の真ん中で、むせ返るような色香を纏って横たわる少年を、コンラートはふと泣きたい気持ちで小さく笑って見下ろした。
「……どうかそんな目で見つめないでください」
 ―― 勘違いしてしまうから。
 どうかそんな目で見つめないでほしい。そんなふうに情欲に濡れた瞳を切なげに細められると、まるで本当に自分が心の底から求められているように錯覚してしまう。
 視線を合わせてはいけないと思いながらも合わせてしまった。一度捕らわれてしまえばもう逃げる術はない。静かな夜の海に溺れた幼い瞳が、まるでコンラートの全てを希っているように真っ直ぐに見つめてくる。
 どこまでも純粋な瞳。清らかで、優しくて、決して折れることのないしなやかで強い瞳。コンラートが何よりも好ましく思い、この世のどんな宝石よりも美しいと思うもの。決して手に入ることのないそれが、焼き切れそうな熱を纏って目の前にいる。
 彼を傷つけたくない。傷付ける全てのものから護りたい。どうかずっと清らかに綺麗なままでいて欲しい。そんな風に思える相手を自らの手で穢さなければならない罪悪感。それと同時に、この手で彼に触れてもいいのだと、自分は免罪符を手に入れのだと歓喜する薄汚い気持ち。
 最初は罪の意識に悲鳴を上げていたはずの心臓が歓喜に湧き上がる。この手のひらの下でとくとくと脈打つあたたかい肌に触れるたびに、薄暗い衝動に襲われる。本当はぐずぐずに甘やかして優しくしてやりたいのに、乱暴に組み敷いてその綺麗な体の全てを暴いてしまいたいと。彼を護りたいとどれほど願っても、醜悪な欲に塗れたこの姿こそが本来の自分なのではないか。そんなふうに思えるのだ。
 そんなふうに思ってしまう罪悪感に、コンラートの心はとうに押しつぶされそうだった。
 ああ、痛い。
 ぎりぎりと胸を締め付ける痛みは容赦なく現実を突きつけ、その罪の重さを幾度となく知らしめる。歪んだ視界の中にいる彼がどんな表情をしているのかももはやわからない。
 強く強く引き結んだ口元から苦しげな吐息が零れて、二人きりの静かな空間にはたりと落ちた。
 もう止めましょう、と。そんな言葉が喉元まで出掛かった。
「こんらっど」
 コンラートはゆるゆると緩慢に視線を上げる。見上げた先で、ユーリが額に汗を滲ませながらも精一杯の微笑みを浮かべていた。
「だいじょうぶだから。きずついたりなんかしないから」
「……ユーリ、」
「もどるんだろ、ふたりで」
 余裕のなさを滲ませた黒い瞳の中に、何者にも屈しない強い光が宿っていた。それをコンラートは眩しく見つめる。
 ああ、この眼だ。
 すきだ、と心の底から思った。
 軋んだ胸が痛くて堪らない。愛しくて、恋しくて、ただそれだけの純粋な感情が胸に迫る。
「ユーリ。もしこの部屋を出られたら、……俺は」
 その先は言葉にならなかった。熱い何かが喉の奥につかえて、それ以上何も紡ぐことが出来ない。目の奥が引き絞られるような痛みをやり過ごすだけで精一杯だった。
 自分でも一体何を言おうとしていたのかわからないまま、コンラートは唇を強く噛みしめる。
 黙って見つめ返してくる黒の双眸は全てを見透かすように凪いでいた。涙で潤んだそれはまるで星を浮かべた夜空のようだ。
 滲んだ視界の中で、こちらへと伸ばされた両手が見えた。彼の指先が躊躇いなく、包み込むように頬へと触れる。その手は優しさをのせてするりと撫でると、労わるようにコンラートの首筋の後ろへと触れた。
 くっ、と。
 ほんの軽く引かれただけだったが、引き寄せられるようにコンラートは顔を近づけた。
 熱を宿した黒曜石に自分の影が重なる。
 鼻先が、躊躇う速度で触れ合った。
 濡れた睫毛がそっと伏せられる様が間近に迫ったのと同時に、コンラートも瞼を伏せた。
 震える唇がゆっくりと彼のそれへと触れる。初めての口付けだった。
 呼吸さえ止めて、コンラートはただ、熱い、とそれだけを思った。
 最初は軽く触れるだけだったそれが少しずつ角度を変えてゆく。重ねる動きから啄むような動きへ。そしてどちらからともなく唇を開き、相手の舌を招き入れた。熱い舌が重なり、絡まり、唾液を交える。夢中になって唇を重ねていた。
「……ん、ふっ」
「っ、ユーリッ」
 合間に零れる甘い声が頭の奥をじんと痺れさせる。もう彼以外目に入らなくて、ただただ求めた。
 そうしてどのくらい時間が経ったのか。息も絶え絶えになりながら、気が付けばお互い腰を擦り合わせるような動きをしていることに気付いてしまって、ああ、とコンラートは熱い吐息を零した。
 こちらを見上げてくる瞳の中に隠しきれない情欲と、同じ熱を宿した自分自身の姿が映っている。
 彼も同じことに気付いたのだろう。目元を赤く染め上げながら困ったように眉を下げて視線を逸らす姿に、背筋をぞくりとした何かが駆け上ってゆく。
 ユーリの口の端から零れた甘い唾液を舌で絡めとり、コンラートは先ほどまで指を埋めていた場所へと再び触れた。熱く蕩けきったそこはひくつくように震えている。誘われているような錯覚すら覚えて、コンラートはゆっくりとそこを指の腹でなぞった。
「あ、あ、こんらっど……こんらっどっ」
 縋りつくように腕に触れた指先に力が籠る。
 正しく意味を理解して、今にもはち切れそうに熱い己の中心をそこに宛がった。ユーリが短く息を吸って、声にならない喘ぎを零した。
 心臓は今にも壊れそうに暴れていた。これを鎮めてくれるのは彼しかいないのだ。この胸の内に吹き荒れる嵐をおさめてくれるのも、きっと。
 この先にあるものが何なのか、なんてそんなこと考える余裕などどこにもない。コンラートの余裕も、迷いも、この感情の消し去り方も、すべて彼が奪っていってしまった。これほどまでに間近で彼の熱を感じて、己の中のこれほどまでに狂おしい激情を再確認して、元通りの日常に戻るだなんてきっともう無理なのだ。そのことがどうしようもなく、
(――怖い)
 涙で濡れたまなじりを指でそっと拭うと、コンラートは左手をユーリの右手に重ねた。しっとりと汗ばんだ二人の手のひらはじわりと熱を交え、互いの境界線すらわからなくさせる。
 指の間に指を絡ませるとぎゅっと握り返される。迷いのないその強さにまた鼻の奥がつんと痛んだ。
「ぁ、あ……ああ……っ」
「ユーリ、いきをはいて……」
 コンラートはユーリの額に掛かる前髪を払いそこに口づけをひとつ落とすと、ゆっくりと身体を押し進んでいった。
 幼い指先がコンラートの腕に縋りつく。
 爪が皮膚に食い込む淫らな痛みで、そのときようやくこれが夢ではないことをコンラートは実感した。






 最初に目に飛び込んできたのは天井だ。
 不自然なほどの真っ白い天井、ではない。華やかな柄こそ描かれてはいるがごくごく普通の、そう、言うなれば見慣れた自室の天井だった。
 (―― 戻って、こられたのか)
 コンラートはしばらく呆然と天井を見上げていたが、やがて詰めていた息をゆっくりと吐き出した。隠しようもなくそれが震えたのは仕方がないだろう。
 安堵に肩の力を抜いたコンラートだったが、己の左手に違和感を覚えてふと顔を横に傾けた。
 すぐ近くで黒の瞳と視線がかち合い――心臓が止まるかと思った。
 左手に繋がれた先には、同じように固まった表情でこちらを見つめるユーリが横たわっていたからだ。
「……ッ」
「ユーリっ、」
 互いの姿を認識すると同時に二人は跳ね起きるようにして身を起こした。咄嗟の言葉が出てこずに視線を彷徨わせながら、そういえばここも寝台の上だと不意に意識してしまえばますます何も言えなくなる。お互いきっちり衣服を身に付けていたことが唯一の救いだろうか。
 同じように落ち着かなげにしていたユーリがちらりとこちらを見る。
「あ、の……コンラッド」
「……っはい、」
「手を……」
「え? ……あ、す、すみません痛かったですかっ?」
「や、だいじょうぶ……うん」
 起きたときからなぜか繋がれていた手に知らずと力を込めていたらしい。慌てて謝り手を離す。途端に左手が寒くなったように感じた。どこかほっとしたように緩んだ少年の表情に、少しだけ胸がちりっと痛んだ。
 やはり夢だったのだろうか。
 目覚める直前にこれは夢ではないと実感したばかりなのに、今はもうそれが揺らいでいる。目覚めたその瞬間から朧げになってしまうこの感覚こそが夢だったという証拠なのではないか。そんなことを思う。
 それでも、目の前が真っ暗になるような絶望感と、心臓の引き絞るような痛みと、ほんの少しの期待と、どうしようもない幸福感が。不確かなのに、瞼の裏でちかちかと瞬いては消えることなく浮かんでいる。まるで己の中に隠し持っていた往生際の悪い恋心のようだ。
 コンラートは何だか急に自分自身が可笑しく思えて小さく笑った。
「ユーリ、あの」
 美しい瞳を探して視線を上げたコンラートは、己の右腕に赤い痕があることに気が付いた。それは爪を立てたような小さな痕だった。
「コンラッド!」
 呼び掛けられたままに再び顔を上げると、ひどく緊張したような面持ちのユーリがこちらを真っ直ぐに見つめている。
 ああ、あのときと同じ顔だ。うなじまで真っ赤にして、目元もこんなに潤んで。本当に可愛らしいったらない。そう言えば彼は怒るだろうか。
「……忘れなくても、いいからな」 
 それは体を重ねる前に二人の間で交わされた約束。あの部屋では何も起こらなかったと。帰ることが出来たら全てを忘れようと。結局、そんな約束は何の意味も成さなかったわけだけれど。
 咄嗟に頬に触れた指先に熱が宿っていた。紛れもなくあのとき彼の体に、心に宿っていた、思わず泣きたくなるような愛しい熱だった。
 コンラートはユーリの体を引き寄せると、壊れ物を扱うように恐々と、しかし決して離さないというように抱き締めた。
「忘れられるはずがありません」
 そうしてコンラートは、今まで伝えたくてたまらなかった言葉をユーリの耳元でそっと口にした。



更紗さまより頂きました!

もうタイトル見た瞬間から「これは!!!!」と期待に胸が膨らみすぎて動悸が激しくなりました。
なんということでしょう・・・・・・まさかコンユでこのネタを見られる日が来るとは。
どんな時でも相手のことを気遣って、ひたむきだったり懸命だったりするユーリが本当にかわいいです。たまらん。
そして、次男が! 次男が!!! どこまでも悩んでしまうのって、ユーリのことが大切だからこそなんですよね。
愛しているからこそ汚したくなくて、でも愛しているからこそ手を出さずにいられないっていう。
更紗さんの書かれる悩める次男が大好きです。ホント、いつまでも愛でていたい。
更紗さん、素敵なコンユをありがとうございました!
(2015.11.02)