膝に乗せる - 遠野


An old maid, an old maid,
You will surely be,
If you laugh or if you smile
while tickle round your knee.


「やったーユーリの負けー!」
 愛娘の嬉しそうな声を聞くのは良い。その隣で堂々一抜けのヴォルフラムがニヤニヤしているのも仕方が無い。
 少しだけもやっとした胸の内は隠して、手の中に一枚残ったQueenをじっと睨めつける。
 この前もビリ。その前もビリ。負け続けだ。このQueenはおれに恨みでもあるのかもしれない。
 さぁ、トランプを切ってくれとキラキラした瞳でお願いされて、散らかしたカードを集めるが、これで何度目になるのだろう。普段よりも就寝時刻が遅れているのは確かだ。
「次で終わりにしような」
 不満そうな声を上げたグレタだったが、ヴォルフラムが楽しい明日の予定を告げて宥めている。それを横目で見ながら、おれはカードを切った。



「何でQueenだったんだ?」
 ババ抜きとはJokerを一枚潜ませて五十三枚で行うものだが、肝心のJokerが失くなっていた為に代わりを作る事にしたのだ。
 ジジ抜きの要領で適当に一枚引き抜いて五十一枚にしようとユーリは提案したが、ゲームに参加する予定の無い名付け親がQueenを引き抜いて隠してしまった。
 その場では思考を読ませない微笑みで流していたから、グレタやヴォルフラムが待っている手前深く訊ねはしなかったが、今は彼とおれの二人きりだから問題無い。
 二人が寝静まってからも、最後のゲームでも負けた悔しさからか、あのQueenが眠れない程気になったからかは判らないが、睡魔は一向にやってこなかった。愛娘の寝顔を月明かりで見ているのも良いが、如何にも落ち着かずに飛び出してしまい今に至る。
「そういうルールなんですよ」
 地球の遊びを勘違いして覚えているのでは無いかと疑念を持っていると、彼は流暢に「Old Maid」と言った。何だそれは。
「ババ抜きの英名です。結婚適齢期を過ぎた独身女性の事ですよ」
 それでも理解が出来ずに眉を寄せ首を傾げると、彼は意地悪せずに教えてくれた。
「元々Jokerで無く、Queenを使った遊びなんです。一枚のQueenが組み合わさらずに残る事を、結婚出来ずに一人残ってしまった女性に例えた。ババ抜きと呼ばれる所以もそこからです」
 なるほど。つまり正式ルールでゲームをしていたわけだ。だが、その所以を聞くと、今後ババ抜きと呼びにくい気がする。アニシナさん辺りが女性差別だと騒ぎ立てそうだ。
「スッキリしました?」
「したした。おかげで眠気も余計吹っ飛んだ」
 もやもやの正体は、Queenでは無かったらしい。コンラートは少し困った顔を作って「子守唄でも歌いましょうか」などと言ってくる。声は楽しそうだ。
「あの恥ずかしいのは勘弁な」
 何度もloveなんて単語が入っているのに眠れる筈が無いだろう。あれは確信犯だ。優しく愛してだなんて囁くな。
 今回もその歌を歌うつもりだったのだろう残念そうな顔をしている。その前に、この年で子守唄は無いだろうに。
 もうそんな事は考えなくても良いから、寝床を半分貸してくれと要求しようとした時に、彼は思い出したように言った。
「ねぇユーリ、此方にいらっしゃい」
「此方?」
 手招きされて立ち上がる。包まっていた毛布を引き摺るようにしてカウチから降りるが、コンラートの此方が何処を指すかを知って顔を顰めた。
「何がしたい」
 成長期真っただ中の青少年が、大人の男性の膝に乗りたいと思うわけが無いだろうが。思いきり罵倒しそうになった口は閉ざす。気を高ぶらせたらもっと眠れなくなる。
「ね」
 何が「ね」なのか教えてみやがれってんだ。如何にも頑固な彼に溜息一つ落として折れてやる事にする。ベッドの上に腰かける男の膝の上に、飛び乗るようにして体重をかけてから、子供っぽかったかと後悔した。
 小さく笑い声が漏れ聞こえてから直ぐに腕が回ってきて、おれの腹の前で指を組んだ。大きな手だ。羨ましいような悔しいような、そんな手が好きだと思う事がまた悔しくて後ろに体重をかけてやる。鼻が縮んでも問題無いだろう、どうせおれよりは高いままだ。
「コンラッド、本当に何?」
 その質問に彼は答えないまま、やがてゆっくりと聞き慣れないメロディが背中から流れてきた。

An old maid, an old maid,
You will surely be,
If you laugh or if you smile
while tickle round your knee.

「ぴったりでしょう?」
「ババ抜きって言ってたのは解った」
「この場合はちょっと違いますけどね」
 「じゃあ何?」と振り返ろうとした時、コンラートは組んでいた指を解して、おれの膝へと持っていった。「え?」と声を出す間も無く、這わせた指で擽られる。
「ちょ、え?うわっはは、あははっ!やめ…コン…っ!」
 ぴしゃりと擽る手の甲を叩くまで、彼は制止の声を聞き入れてはくれなかった。生理的な涙の浮かんだ瞳でじっとり睨むが、にこにこしている顔は変化が見られない。
「そういう歌なんですよ」
「はぁ?」
「笑ってしまうとお嫁にいけないんです」
「……おれ、男なんだけど」
 背中に額を押しつけて来るこの男が何を言いたいのか今一つ分からずにいると、今度はぎゅっと抱きしめられた。それでも腹部を圧迫しないように気を使われている事に、自制しているなと思う。感情のままで在って、そうで在りきれていないのだ。
「コンラッドー?」
 返事が無い。自己完結は男の悪い所だ。度々おれが「仕方の無い人だ」と彼に言われる言葉をそっくり返してやりたくなる。
 おれは足で反動を付けて思いきり後ろに倒れこむと、抵抗無く彼も後ろにひっくり返った。ベッドの上に仰向けに転がる。コンラートは文句など言う筈が無い。
 ただ小声で先程の続きなのだろう言葉を吐くだけだ。
「いかせたくないなぁ」
 そう呟きを聞いて、おれがいつもババ抜きで負けていたのはコンラッドのせいだったのだと思う事にした。
 彼が少し離れた所で、残れよ残れと念じていたに違い無い。それはいっそ呪いだ。
 たまに現れる押しの強さで「いかせない」と言ってくれれば良いのに。肝心な所で引く彼は心底情けない。
「もう一回擽る?」
 それで彼が安心すると云うのなら、おれはきっと喉が枯れるまで笑い声を上げるのだろう。
「いいえ。意味が無い事だと知っていますから」
「じゃあもう一回歌ってよ」
 強請ると彼は歌ってくれる。小さくは無い男が乗っているのに、よく声が出るものだと感心してしまう程ブレが無い。
 最後の一単語まで丁寧に歌い終えた彼の顔が見たくて、おれは彼の上で反転した。
 感情の読めない表情を見下ろし、左右の頬肉を摘むと、彼はやっと苦笑してくれる。
「何処にもいかねーから安心しろ」
 寧ろあんたの方が心配だと不満を口にすると、彼は背中にまわした腕で絞めつけてきた。
 殺す気か、そう笑うと「殺してしまいそうな程愛おしい」と物騒な言葉が返ってくる。彼の力一杯で想いを伝えられたら、きっと息が出来なくなるのだろう。
 想いとは伝えきれないものだ。どのような手段を使っても。
「つーか、おれとあんたでワンペアだ」
 それはポーカーだったか、ではババ抜きは何だっただろうか。
「マッチ…だっけ?」
「プロポーズですか?」
 少しびっくりした顔を見せた彼に、こっちが驚いてしまう。組み合わせと云う意味では無かったか。
「意味は、揃いの、一対の。それから…」
 教えられた意味に、恥ずかしくなってコンラートの胸元に顔を埋める。すると彼は体を揺らして笑うものだから居たたまれない。
 先程から教えられていたではないか。如何してQueenがババ抜きで使われるのか。あの歌もそうだ。
 コンラートは一頻り笑い終えると、おれの耳元で歌声よりも甘ったるく名前を呼んできた。これなら愛の歌の方がずっと熟睡出来る。強烈な刺激に、おれは余計彼にしがみ付いてしまっていた。


Match:一対、結婚


write:10.01.11
「An old maid, an old maid」:マザーグースより

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