年中無休の魔王業務。休みなく働いていても仕事が尽きることはない。
執務室の机上には書類が山となり、いくらサインをしたところで新たな書類が増えていくのだ。
かといって書類を片付け続ければいいわけではなく、いざ謁見だ、会議だ、会食だとそれこそ分刻みのスケジュールがみっちりと組まれている。
年明けのこの季節、それは毎年のことではあるけれど、何年魔王を続けていたって疲れるものは疲れるのだ。
「なぁ、グウェン」
「半刻後に十貴族会議だ。書類は用意させてあるから、目を通しておけ」
「……」
実際に休憩が貰えるとは思っていなかったけれど、口にする前から否定をされてしまえば面白くない。せめてもの嫌がらせとばかりに大きな溜息をついたところで、前方から歩いてくる人物に気づいておれは歩調を緩めた。
向こうはもっと早くに気づいていたのだろう。一緒に歩いていた若い兵士との会話を切り上げ、すれ違う数メートル手前で立ち止まって深く頭を下げられた。
臣下としてそれはとても正しい態度だと頭で分かっていても、違和感が拭えないのは普段そんな姿を見ることがないせいかもしれない。本来ならば対峙するのではなく、おれの後ろにいるべきなのだ。
おれの専属護衛。
けれど、猫の手も借りたいほどに城中が忙しいこの季節。城から一歩も出る予定のない魔王陛下の後ろでぼけっと立たせておくのは勿体ないから貸してくれと警備責任者から泣きつかれ、ついうっかり許可してしまったが最後しばらく姿を見なくなった。
こちらも休む暇がないほど忙しく、一日の執務を終えたら倒れこむように眠るだけ。
どっかで忙しく働いてるんだろうな、ぐらいにしか思っていなかったのだが。
「ご苦労さん」
何日ぶりだろうか。
ゲンキンなもので、姿を見た途端になんでおれの後ろにいないのだという理不尽な怒りが湧き上がる。数日間平気な顔をして執務をこなしていたくせに、どうしてそれができていたのか数時間前の自分さえ理解できない。
足を動かしてはいるが意識はただ一人に向かっていた。横を通り過ぎ、視界から消えてもそれは変わらず。堪えきれずに軽く振り返ると、ちょうど頭を上げる姿が見えた。
目が合ったのは一瞬。
傍目には穏やかな笑みを浮かべているようにみえるだろう、その瞳の奥に穏やかではない感情を見つけて胸が一つ鳴る。おれだけしか気づかない、おれだけに向けられたそれは、この胸にあるのと同じ種類のものだ。
「陛下」
「ああ、ごめん」
後ろ髪が引かれているのに気づいたのだろう、咎める口調でグウェンに呼ばれ、おれは慌てて歩を早めた。
「ちょっとトイレ」
席を立てば、当たり前のように代理護衛の兵士がついてくる。
心の中でごめんと詫びて、おれは途中にある客室の一つへと素早く身を滑らせた。
「陛下!?」
「会議までには戻る」
後ろ手で鍵をかけ、ドア越しでも聞こえるように少し大きな声で告げる。困り慌てふためく声を申し訳なく思うけれど、別に会議をさぼるつもりはない。ほんの少し息抜きをするだけだ。
勝手知ったるなんとやら。執務のちょっとした合間、互いの私室まで戻るような時間がない時に何度か場所を借りたことがある。どうやって手にいれたのか、護衛が鍵を持っていた。今日もきっと先ほどまでは鍵がかかっていたはずで、鍵が開いたということは…。
気持ちを切り替えて、二間続きになっている奥の部屋へ続くドアを開ける。
途端に腕を強く引かれ、状況を飲み込む前に身体の自由が奪われていた。
「うわっ…」
身の危険を感じる必要はない。確認するまでもなく気配で分かる。
それでも顔が見たくて顎を上げた途端に、唇を塞がれた。柔らかな感触を久しぶりに楽しむ、なんて余裕もなく貪るように口付けが深まる。
「…っ、ん…」
腰を抱かれていなければ後ろに倒れてしまいそうなほどの情熱と勢いに押されながら首へと腕を絡めると、ようやく心に余裕が生まれて自ら進んで舌を絡めた。
「っ…は、ぁ…。挨拶も、なしかよ」
「廊下でしたじゃないですか。それに、時間ないでしょう?」
息継ぎの合間に咎めてみたが、口端に笑みを浮かべた男にはまるで効果がない。照れ隠しのようなものだと、バレているからかもしれない。
「ちゃんと迷わず来れましたね」
約束したわけではない。言葉さえ交わしていないのだ。
ただ一瞬だけ交わった視線が、身体を動かした。
「おれが来なかったら、どうするつもりだったんだよ」
「来たじゃないですか」
ここにこの男がいないなどと考えもしなかった。多分、同じようにおれが来ないなどと疑いもしなかったのだろう。
余裕を感じさせる言葉とは裏腹に、見下ろす瞳や抱き寄せる腕には余裕がない。
それはお互い様で、取り繕うのは時間の無駄だ。
絡めたままの腕を引くようにして引き寄せる。欠けたものを補うようにもう一度唇を触れ合わせた。
(2010.01.29)
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