- 第2話
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寝つきの良さには自信があるユーリは、珍しく暗い部屋の中で寝返りを繰り返していた。
幸い明日は休日とはいえ、時刻はそろそろ今日を終えようとしている。普段ならば寝ている時間だ。
睡魔がおとずれない原因は、先ほどまで見ていた映画。目を閉じると、フラッシュバックのように蘇ってしまう。
善悪分かりやすいアクション映画がユーリは好きだ。恋愛モノは眠くなってしまうから見ないが、余程えぐくない限りはスプラッタは見れる。ホラーも女の子のように怯えたりしないと思っていた自分への認識は甘かったようで、じわじわと沁みこんでくるような恐怖にはあまり耐性がなかったらしい。
風呂上りのリビングで勝利にそそのかされたユーリが一緒に見てしまった映画は、良く出来たホラーだった。最後の方では青ざめ言葉を発せなくなっていたほどで、怖いなら一緒に寝てやるぞ…と、からかう勝利を置いて部屋に駆け込んだのだが。
「くそぅ、勝利のヤツ…」
映画の光景が蘇る。主人公が部屋にいると物音が聞こえてくるのだ。
コンコン。
「…っ!」
窓の外から聞こえてくる音に、思わず枕を抱きしめた。窓を叩く音は小さいが確かに聞こえた。風の音とも明らかに違う。
コンコン。
もう一度。
叫びだしそうになった声をなんとかなんとか押しとどめることができたのは、その後に聞こえてきた声のせいだった。
「ユーリ?」
子供特有の少し高い、でも落ち着いた声はユーリがよく知るもので。
「コ…コンラッド!?」
急ぐあまり乱暴に開けられたカーテンと窓の外、ベランダに立っているコンラッドを見つけて、ユーリの目が丸なる。
「どうしたんだよ!ってか、どうやって!?」
驚きと混乱でつい声が大きくなるユーリを見上げるコンラッドは、対照的に穏やかだった。片手に枕を抱えたパジャマ姿、空いた手で立てた人差し指をふっくらとした唇に添えてみせる。しぃーっと息を吐きだすような声で囁いて、ようやく落ち着きを取り戻したユーリを確認すると、にっこりと笑ってみせた。
「こんばんは、ユーリ」
「こんばんはって。どっから来たんだよ」
「どこって、そこからですよ。お隣でしょう?」
唇に触れていた指を振り返りながら後ろへと向ける。そこは隣の…つまりはコンラッドの家で、開かれている窓はコンラッドの部屋のものだ。
「いけるかなって思っていたんですけど、やってみれば大丈夫なものですね」
向かい合うベランダの隙間は日本の住宅事情を反映して一メートルもないとは言え、子供が飛び越えるには危険すぎる距離だ。
「危ないだろう。落ちたらどうするんだよ」
「すみません」
首を竦めたコンラッドは笑顔のままで。それでも形だけは謝って見せるものだから、ユーリは厳しい表情を持続させることもできずに、部屋の中へ入るように促した。
子供というのは、たいがいの無茶は怪我さえしなければ許されてしまうのだ。ユーリ自身がそうであったように。
「それで、どうしたんだよ、コンラッド。こんな時間に」
「映画を見たんです」
明かりをつけた部屋で並んでベッドに座る。枕を抱きかかえる小さな子供の言葉に、先ほどの映画を思い出して、ユーリの肩がぴくりと震えた。
「ユーリは見ました?」
「見た見た、確かに怖かったよな、あれ」
先ほどまでの自分が怯えていたなどと言えずに、年長者な気分で怖かったよなと大げさに何度も頷くユーリは、コンラッドの肩を引き寄せて胸に抱きこんだ。
背中を慰めるように撫でると、擦り寄ってくる。
「よし、おにーちゃんが一緒に寝てやるよ」
「ありがとうございます」
普段からしっかり者のこの幼馴染が、こんな風に自分を頼ってくるなんて。
嬉しさを感じながら、ユーリはコンラッドをベッドへと押し込んだ。
シングルベッドでは、高校生と小学生二人でもやはり狭くて、寒さも手伝って二人は身を寄せ合った。
髪が頬に触れる距離。昔よくこうやって昼寝に付き合ったなんて幸福な記憶が蘇ると、もう映画のことなどユーリの頭から消えてしまう。
「ユーリ」
「どうした?」
名前を呼ぶ声にそちらへと顔を向けるより先に、頬に柔らかな感触を受けてユーリは瞬いた。
「な、なんだよ、いきなり」
「怖い夢を見ないおまじないですよ。昔、母がしてくれました」
にっこりと笑う笑顔は子供特有の純粋なものだ。
「怖いのはコンラッドだろ。逆じゃん」
「じゃあ、ユーリがしてくれますか?」
「ばっ…」
ばかじゃないのか!と思わず怒鳴りそうになった声を寸前で留めたのは、期待を込める視線を感じたから。
仕方が無いなという気持ちにさせてしまう、子供ってずるいと思う。
少しだけ躊躇って視線を彷徨わせたユーリは、やがて覚悟を決めたらしい。すばやく柔らかな頬へと唇を押し付けると、押し付けたときと同じ速さで顔を離して、笑みを深めた子供の頭へと布団を被せた。
「もう寝ろ」
「はい、ユーリ。おやすみなさい」
「おやすみ、コンラッド」
ユーリは気づかない。子供が一度も怖くて眠れない、などと言っていないことに。
ベッドから落ちないようにと小さな身体を抱き寄せて、ユーリは目を閉じた。
今度はすぐに眠れそうだった。
(2009.11.23)