第3話


「初詣に行きましょう」
 このところ受験勉強が忙しく、草野球どころかキャッチボールさえままならなかったユーリは、幼馴染の言葉にいちにも無く飛びついた。
 元旦ぐらい勉強は休ませてくれと思うのだが、不幸なことにあまり成績がよろしくないことを自覚しているユーリはそれを口に出すことが出来なかった。普段は大らかで、高校受験の時にも笑っていた美子が、今回ばかりはとても厳しく勉強勉強と騒ぎ立てるのは、ユーリが選んだ大学が成績に対して分不相応なせいだった。
「ゆーちゃん、どこいくの?」
「お守り買ってくる!」
 慌ててコートとマフラーを引っつかむ。手袋は忘れたが、もう面倒だ。
「早く帰ってくるのよ!」
「はーい」
 連れ立って外に出ると、一年の始まりに相応しい晴れやかな空が広がっていた。
「うぅ、娑婆の空気がうまい」
「この所、ずっと勉強でしたからね」
 冬休みに入ってからというもの、外出したのは数えるほどだ。それも必要に駆られてであって、遊ぶためであったことは一度もない。
「たまには身体動かさないと、頭がパンクしそう。ジョギングさえ、ダメ出しされたんだぜ」
 もうやってらんねーと、六つも年下に愚痴ることではないのは分っているのだが、穏やかな笑顔を浮かべて聞いてくれるものだから、ついつい口が滑ってしまう。
「今度、少しだけキャッチボールに付き合ってください。美子さんに見つからないように、こっそり」
「お、やるやる!」
 元はといえば自分の頭の悪さに起因しているのだから自分から言い出すのは罪悪感がある。暫くぶりの誘いに、ユーリは嬉しそうに破顔した。


「おー、混んでるなぁ」
「それなりに大きな神社ですからね」
 電車で数駅しか離れていないところにある神社は、コンラートたちと同様に年に一度しか訪れない人々で溢れかえっていた。
 駅から程近い距離にあるせいか、駅を出た途端に既に人通りが多い。元旦だというのに、大通りに面した店のほとんどが開いており、年始らしい景気の良い呼び声が耳に入ってくる。
 年上の幼馴染は、祭さながらの空気に引き寄せられるようにふらふらと歩き出していた。目をきらきらとさせながら、左へ右へ視線を彷徨わせる姿は年上とは思えない可愛らしさではあるが、危なっかしさも伴ってコンラートは気が気ではない。
「ユーリ、危ない」
 案の定、初詣帰りだろう前方から歩いてくる人とぶつかりそうになっている。
「うわっ」
 肩を抱き寄せるぐらいできればいいのだが、体格差がそれを許してくれず。仕方なくコンラートはユーリの腕を引っ張ることで自分の方へと引き寄せた。
「わりぃ」
「いいえ。気をつけてくださいね」
 年上風を吹かせたがるユーリのことだ、さすがに今の状況を反省したのか少しだけ表情が引き締まる。そんな心境の変化を見て取り、コンラートは逆に表情を和らげた。
「はぐれるといけないので、手をつないでもいいですか?」
「しょうがないな」
 差し出した手を握り返されたことに、内心で安堵する。いつまで、こういう甘えが許されるのか。まだ子供なのだと思われていることに少しだけ思うところはあるけれど、この手を握るためならばそんなことは些細な問題だ。
「あれ?」
「どうしました?」
 首を傾げたユーリが足を止めたのに合わせて、コンラートも立ち止まった。往来の邪魔になるので、少しだけ道の端によった途端に、握ったばかりの手の温もりが離れていく。
「手、おっきくなった?」
 問いかけてはいるが確信があるらしい。コンラートの開いた手を、同じように開いた自分の手に重ねて、ユーリが眉間に皺を寄せた。
 ぴったりとくっついた手は、合わせたかのように同じ大きさだった。
「育ち盛りですからね。身長も伸びたでしょう?」
 まだ、少しだけコンラートの方が低い。けれど、以前のように見上げる必要はなくなった。もう少しすれば、きっとまっすぐにユーリの瞳を見ることができるだろう。
 少しだけ気分を味わうためにと軽く背伸びをすれば、競い合うようにユーリも踵をあげてみせる。
「生意気!」
「身長に生意気は関係ないでしょう」
「うるさい。ちくしょ。おれだってまだ伸びる予定なんだからな!」
 じゃれあうように言い合って、コンラートは自分からユーリの手をとった。
「初詣、いきましょう」
「そうだな」


 来年もこうして一緒に新年を迎えられますように。
 きっとその頃には自分の方が身長が伸びているはずだ。
 ユーリは怒るだろうか。もう手は繋いでくれないだろうか。
 それでも、並んで歩いているだろう自分達を思い浮かべれば自然と口元が綻んだ。
「ユーリ、今年もよろしくお願いします」
「ああ、よろしくな」



(2010.01.07)