第5話


 ついこの間まで、人生バラ色だったはずなのに。

 ついてない。
 目の前で電車のドアが閉まるし、食べたかった学食のAランチは売り切れてるし、必死に書き上げたレポートは家に忘れた。
 人生で初めて出来た彼女には、三回目のデートの約束を取り付ける前に振られた。
 彼女とするはずだったファーストキスは、弟のように思っている年下の幼なじみに奪われた。
 中学生のくせに全然子供っぽくなくて、お袋に言わせたらどっちが兄だか分からないだとか、失礼極まりない。昔から、おれの名前を呼んでいつだって後ろをついてきたのはコンラッドの方なのに。
 もう少し子供らしくしろよ、と常日頃から言ってはいるけれど、子供のおふざけにしては今回はタチが悪すぎた。
『ユーリ』
 昔は高くて可愛かった声と同じリズムなのに、昔とは違う低く響くそれは、知らない人みたいだった。
 押しつけられた唇の感触と、すぐ目の前にある伏せられた目元の端正さと、少し痛いぐらいに強く掴まれた肩と。
『コンラッド?』
 なんの冗談だ、放せよって、一言が出てこなかった。あんなコンラッド知らない。
 バクバクとうるさい心臓を必死に宥めている間に、コンラッドは何事もなかったみたいにおれの部屋から出ていってしまった。

 怒るべきなのも避けるべきなのもおれの方のはずなのに、なんか避けられてるし。
 なんなんだよ。
 昔みたいに毎日家に入り浸ったりしないにしても、朝のちょっとした時間だとか眠る前だとか、窓を開けただけで会話ができたのに。
 カーテンの隙間から、隣家を覗き見る。おれの部屋のものと似ている青いカーテンは、きっちりと閉じられていた。
 なんだかムカムカしてきた。
 部屋に視線を戻すと、白いライオンが目に入った。何年か前の誕生日にコンラッドがくれたもので、おれの普段あまり使われない勉強机の上、特等席に鎮座している。
 罪はないどころかむしろ愛してやまない球団のマスコットを手に掴んだおれは、窓をあけるなり閉ざされたままの向かいの窓に向かって投げつけた。
 ガラスに跳ね返ったそれがベランダに転がる。
 ごめん。
 でも、恨むならコンラッドを恨んでくれ。
 さっきまで開く気配のなかったカーテンが急に開くもんだから、おれはあわてて窓とカーテンを閉じた。
「ユーリ?」
 背を預けたガラスの向こうから、久しぶりに声が聞こえる。でも、返事なんてしてやるもんか。
 悪いのはコンラッドだ。
「もう遅いですから、早めに寝てくださいね」
 子供のくせに、全然子供っぽくない。
 もっと子供らしくすればいいのに。
 いつまでも、おれの後ろをついてくる小さくて可愛いコンラッドでいれば良かったのに。
「おやすみなさい、また明日」
 窓が閉まる音がした。一方的に話しかけられただけ、会話ともいえないのに、さっきまでのささくれだった心が落ち着いた。
 そっとカーテンの隙間から外を伺う。もう向こうのカーテンも窓も閉まっていた。さっきと同じ。
 白いライオンが消えていることを確認して、おれはベッドに潜り込んだ。

 また明日。
 明日になれば、白いライオンはきっと戻ってくる。


(write:2010.07.22/up:2011.07.22)